実験ノート
大学の助手になって数年目、ニューハンプシャーでのmolecular assembliesのゴードン会議にポスター発表を申し込んで出席した。当時は海外出張をする予算もなく、どこかの財団からようやく補助を頂いて実現した初めての海外出張(ハワイ年会を除く)であった。
会議では、当時40代前半のバリバリだったFraser Stoddart先生やRoeland Nolte先生にも初めてお目にかかれたり、同世代のJeff MooreやReza Ghadiri、テニア取りたての駆け出しOmar Yaghiとも、この会議を通じて親しくなったりした。たいへん充実した1週間を過ごした。ゴードン会議のあと、ボストンに2日間滞在し、当時MITに居られたJulius Rebek先生を訪問して講演させて頂いたことも、貴重な経験となった(初めての海外研究室訪問であった)。
最終日は、ハーバード大学のE. J. Corey研でポスドクをされていた林雄二郎さん(現東京理科大学)を訪ね、ハーバードの看板研究室であるCorey研を見学させて頂いた。Corey研はさぞかし近代的な、時代を先取りするような実験室のつくりであろうと予想していたが、意外にも日本の有機合成の研究室とほとんどつくりが同じで、あまり新鮮味を感じなかった。「Corey研とはいえ、こんなものか...」などと一瞬がっかりしたが、よく考えるとそうではない。実はCorey研のつくりをそっくり真似て、日本の有機合成の先達が皆そのスタイルを輸入していたのである。そう考えると、先達の時代に米国のトップ研究室が日本の化学の発展に及ぼした影響力は計り知れないものがある。
一通り実験室を案内していただき、最後にCorey研の書庫のようなところに通された。その書庫には、歴代のCorey研の学生やポスドクの実験ノートが整然と並んでいた。Corey研が世界に輩出した著名な先生方の実験ノートも当然並んでいるわけだが、ざっと眺めているうちに、ふと”H. Yamamoto”の名前が目に止まった。現在、シカゴ大学でご活躍の山本尚先生のCorey研ポスドク時代の実験ノートである。
当時、山本先生は名古屋大学にてルイス酸を用いた美しいコンセプトの反応を次々と開発され、私にとっては憧れの先生の一人であった。その山本先生の実験ノートを目の前にして、駆け出しの研究者には、ついついあらぬ興味が湧いてきた。あの山本先生、いったいどんな実験ノートをつけていたのであろう? 結構殴り書きかもしれない? ひょっとしたら、あまり実験には熱心でなかったかも? などなど、けしからん想像までもが入り交じったつまらぬ興味が湧くるものである。ご本人にはたいへん失礼と思いつつも、ついノートの一冊を取り出して、中身を拝見させていただいた。
ノートを開いて、私は驚いた。そこには、試された実験の一つ一つが驚くほど丁寧に記録され、それまで私が思い込んでいた実験ノートの記述とはかけ離れた、精密な実験の記録が綴られていた。TLCのスケッチや反応温度の変化などが克明に、詳細に、かつたいへん奇麗な文字で、まるで後から清書したかのように丁寧に記述されていた。しかも実験ノートの日付を追っていくと膨大な実験量である。思わず自分の実験ノートを思い出し、ほどんど走り書きの、ところどころ解読不明な実験ノートの記述を恥じた。本当に青ざめた瞬間であった。山本先生の研究に対する真摯な態度が伝わるとともに、この「隙のなさ」に真に一流の研究者の姿を学んだ。
数々の忘れがたい思い出が残った初めての海外出張であったが、この時の衝撃が今でも忘れられず、私の研究室では統一規格のしっかりとしたつくりの実験ノートを学生に配付し、ノートを使い切ると背表紙には通し番号、年号、氏名を貼付け、書庫のスペースにきちんと整理し保管している。並べられた実験ノートは持ち出し厳禁だが、いつでも誰でも閲覧できるようになっている。Corey研のスタイルを真似させて頂いたのである。
学生に実験ノートの大切さを説明しても、なかなか真の理解を得ることは難しい。しかし、実験ノートに記載された事実は、紛れもなく実験結果の一次情報であり、実験化学者にとってはかけがえのない財産である。たとえ研究室が火事に見舞われコンピュータのすべてのデータを失っても、実験ノートさえ生きていればその実験は成立する。しかし、どんなに丁寧に解析された二次情報を並べてみても、実験ノートが失われればその実験は成立しないのである。
その実験は、もしかすると化学の歴史に(それが大げさなら、研究室の歴史に)残るような結果であったかも知れない。学生さんにとって実験ノートは、今は「自分だけが解読できれば良く、人に見せるものではない」と感じることさえあるかもしれない。しかし実験ノートに記述された記録は、その研究者だけではなく、研究室のかけがえのない公共の財産となること、さらには、少なくとも研究室の中で一つの文化として後世に伝えられ、次第にその価値が高まることを覚えておいてほしい。
君たちの実験ノートも、5年後には後輩たちが「あの伝説の○○先輩の実験ノート」としてあがめられるかも知れない。まして、10年後、20年後に研究者として大きな成功を収めた時、後世の人たちは「あの○○先生の」、「あの○○研究所長の」と、驚きと尊敬の念を持って君たちの実験ノートを眺めるはずである。その瞬間を思い浮かべながら、歴史を刻んでいく実験結果の一次情報を、ひとつひとつ大切に、正確に、丁寧に記述し、大事に管理してほしい。
会議では、当時40代前半のバリバリだったFraser Stoddart先生やRoeland Nolte先生にも初めてお目にかかれたり、同世代のJeff MooreやReza Ghadiri、テニア取りたての駆け出しOmar Yaghiとも、この会議を通じて親しくなったりした。たいへん充実した1週間を過ごした。ゴードン会議のあと、ボストンに2日間滞在し、当時MITに居られたJulius Rebek先生を訪問して講演させて頂いたことも、貴重な経験となった(初めての海外研究室訪問であった)。
最終日は、ハーバード大学のE. J. Corey研でポスドクをされていた林雄二郎さん(現東京理科大学)を訪ね、ハーバードの看板研究室であるCorey研を見学させて頂いた。Corey研はさぞかし近代的な、時代を先取りするような実験室のつくりであろうと予想していたが、意外にも日本の有機合成の研究室とほとんどつくりが同じで、あまり新鮮味を感じなかった。「Corey研とはいえ、こんなものか...」などと一瞬がっかりしたが、よく考えるとそうではない。実はCorey研のつくりをそっくり真似て、日本の有機合成の先達が皆そのスタイルを輸入していたのである。そう考えると、先達の時代に米国のトップ研究室が日本の化学の発展に及ぼした影響力は計り知れないものがある。
一通り実験室を案内していただき、最後にCorey研の書庫のようなところに通された。その書庫には、歴代のCorey研の学生やポスドクの実験ノートが整然と並んでいた。Corey研が世界に輩出した著名な先生方の実験ノートも当然並んでいるわけだが、ざっと眺めているうちに、ふと”H. Yamamoto”の名前が目に止まった。現在、シカゴ大学でご活躍の山本尚先生のCorey研ポスドク時代の実験ノートである。
当時、山本先生は名古屋大学にてルイス酸を用いた美しいコンセプトの反応を次々と開発され、私にとっては憧れの先生の一人であった。その山本先生の実験ノートを目の前にして、駆け出しの研究者には、ついついあらぬ興味が湧いてきた。あの山本先生、いったいどんな実験ノートをつけていたのであろう? 結構殴り書きかもしれない? ひょっとしたら、あまり実験には熱心でなかったかも? などなど、けしからん想像までもが入り交じったつまらぬ興味が湧くるものである。ご本人にはたいへん失礼と思いつつも、ついノートの一冊を取り出して、中身を拝見させていただいた。
ノートを開いて、私は驚いた。そこには、試された実験の一つ一つが驚くほど丁寧に記録され、それまで私が思い込んでいた実験ノートの記述とはかけ離れた、精密な実験の記録が綴られていた。TLCのスケッチや反応温度の変化などが克明に、詳細に、かつたいへん奇麗な文字で、まるで後から清書したかのように丁寧に記述されていた。しかも実験ノートの日付を追っていくと膨大な実験量である。思わず自分の実験ノートを思い出し、ほどんど走り書きの、ところどころ解読不明な実験ノートの記述を恥じた。本当に青ざめた瞬間であった。山本先生の研究に対する真摯な態度が伝わるとともに、この「隙のなさ」に真に一流の研究者の姿を学んだ。
数々の忘れがたい思い出が残った初めての海外出張であったが、この時の衝撃が今でも忘れられず、私の研究室では統一規格のしっかりとしたつくりの実験ノートを学生に配付し、ノートを使い切ると背表紙には通し番号、年号、氏名を貼付け、書庫のスペースにきちんと整理し保管している。並べられた実験ノートは持ち出し厳禁だが、いつでも誰でも閲覧できるようになっている。Corey研のスタイルを真似させて頂いたのである。
学生に実験ノートの大切さを説明しても、なかなか真の理解を得ることは難しい。しかし、実験ノートに記載された事実は、紛れもなく実験結果の一次情報であり、実験化学者にとってはかけがえのない財産である。たとえ研究室が火事に見舞われコンピュータのすべてのデータを失っても、実験ノートさえ生きていればその実験は成立する。しかし、どんなに丁寧に解析された二次情報を並べてみても、実験ノートが失われればその実験は成立しないのである。
その実験は、もしかすると化学の歴史に(それが大げさなら、研究室の歴史に)残るような結果であったかも知れない。学生さんにとって実験ノートは、今は「自分だけが解読できれば良く、人に見せるものではない」と感じることさえあるかもしれない。しかし実験ノートに記述された記録は、その研究者だけではなく、研究室のかけがえのない公共の財産となること、さらには、少なくとも研究室の中で一つの文化として後世に伝えられ、次第にその価値が高まることを覚えておいてほしい。
君たちの実験ノートも、5年後には後輩たちが「あの伝説の○○先輩の実験ノート」としてあがめられるかも知れない。まして、10年後、20年後に研究者として大きな成功を収めた時、後世の人たちは「あの○○先生の」、「あの○○研究所長の」と、驚きと尊敬の念を持って君たちの実験ノートを眺めるはずである。その瞬間を思い浮かべながら、歴史を刻んでいく実験結果の一次情報を、ひとつひとつ大切に、正確に、丁寧に記述し、大事に管理してほしい。