研究室の紹介

教科書に残る研究

 ある集まりで論文引用数が話題となった時に、某先生から「藤田さん、論文が引用されているうちはまだまだや。本当に良い研究は、やがては誰も引用しなくなる。そうなったら本物や。」とのお言葉を頂いた。なるほど、玉尾couplingや鈴木-宮浦couplingはもはや誰も原著論文を引用しない。フラーレン関連での論文でも、KrotoとSmalleyの論文は引用されないどころか、彼らの名前すら知らない若い世代も出てきた。Grignard反応やFridel-Crafts反応の原著論文は今日のネット検索ではおそらく見つからない埋蔵物となりつつある。要するに本当に価値のある研究は、次第にトピックス性は薄れるが、後世に残る当たり前の事実として「教科書の一文」となり歴史に刻まれてゆくのである。


 一般には小中学校の教科書に始まり、高校の教科書、大学の教科書や専門書となるにつれ、扱う内容はより難しくなり、専門の学術誌となれば、もはやその分野の専門家でないと読みこなせない論文も数多い。研究をこれから始めようという学部生、あるいはまさに始めたばかりの卒研生は、そういう極めて専門性の高い研究が現代の最先端であり最も価値があると勘違いしていないだろうか。そうではない。ほんの一握りの専門家にしか通じない研究は「先端」ではなくむしろ「末端」である。(言い過ぎか?) いずれにせよ、本当に優れた研究は、その価値が小中学生でもわかる、いずれは教科書の一文となる可能性を秘めた研究である。せめて「高校の教科書のコラム欄」ぐらいで紹介される研究をめざしてみたいものである。



 今年の夏、パリ第6大学を訪問した際に、世話人の先生からおもしろいビデオを観させていただいた。大学が制作した学生実験用の実験講義ビデオである。実験テーマの一つは「自己集合によるナノ構造構築」で、この実験には何と我々が20年前につくった化合物の合成が取り上げられていた。頭の中に、広い学生実験室で、テキストを片手に10代のたくさんの学生さんたちが一斉に、我々がかつて苦労の末に見つけた現象を当たり前の事実と受け止めながら、淡々と合成を進める光景がよぎった。感激してその日の疲れが一気に吹き飛んだ。自慢げな話で恐縮だが、興味のある方にはぜひそのビデオを御覧頂きたい。 
 

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